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【読書と思索】の検索結果


わたしたちは、親しい仲間の会合から、孤独な思いをいだいて、自分だけの部屋へ戻って来るというようなことが、時折あるのではないだろうか。わたしたちにとって、自分だけの考えというものが、はっきりと知られるのは、そういう時なのである。そしてそういうところに、本当の意味で思想と呼ばれるものが、新しく生まれて来るのだとも考えられる。(中略)わたしたちは、そういう自分だけの思想を大事にしなければならない。わたしたちの考えていることは、これまでに言いつくされたことよりも、何かもっと大切なことに触れているのかも知れない。
『読書と思索』
ちょっとこの本読んでたら全てを引用したくなって危ない本だな

話し合いのためには、もっと少人数の、多少は知り合っている仲間がほしいということになる。この場合は、別に議長をつくらないでも、めいめいが自由に発言しながら、全体としてのまとまりがくずらることなぬ、楽しい話し合いになることが少なくない。(中略)話し合いが、話し合いとして発展するためには、全くの内密事であってはならない。それはむしろ、他の人がいなくても、どこかで誰かに聞いていてもらいたいと思うような、ひとつの公開性の要求をもつものだと言うことができるだろう。もともと話をするということは、意中をうちあけて、これを外化し、表沙汰にすることに他ならないからである。
『読書と思索』

およそよろこびのない生存などというものは、生くるに値しないのであって、人生の一大事は単に生きることにあるのではなくて、よく生きることにあるのである。無論よく生きることもまた生きることであって、その限り生活の苦労を離れることはできない。それは不可欠の要件であって、ひとはパンなしには生きられない。その限りにおいて私たちの知性は生存の手段となり、考え事は生活の苦労とともにある。しかしその限りにおいては、考えることのよろこびはないのである。考え事は、そのような実務を離れて、一種の遊びとならなければならない。学問の独立には、つねにこのような解放が先行し、悠々たる遊びが学問の一面となる。
『読書と思索』

実務に対立する限りでは、すべての純粋な学問的思考は、他の芸術と同じように一種の遊びであるということができる。
『読書と思索』