【銀山街道】の検索結果
大橋を通る国道118号・121号が下野街道(会津西街道)になったのは明治時代の会津三方道路事業以降で、江戸時代当時の下野街道は銀山街道同様の経路で湯川左岸に出た後材木町などを通って氷玉峠・大内宿方面に向かっていた。
もしかして、会津若松の南と西をショートカットする需要がそれなりにあったから、下野街道を大橋経由にしてしまったことでこの道路が必要になったとか?
RE: https://mi.kuropen.org/notes/adsh3trxzh
会津若松市のデジタルアーカイブによる江戸時代の町割り
https://adeac.jp/city-aizuwakamatsu/top/topg/aizu-map/index.html
ここで「融通寺町」と書いてあり、そこから西の柳原町を通って、柳津町の軽井沢銀山に向かう道が銀山街道、現在の県道59号である。
一方、明治41年の地図には、斜めの道が引かれており、「新道」と明記されていることから、この頃に作られたものと思われる。
https://adeac.jp/city-aizuwakamatsu/catalog/mp500270-100050
RE: https://mi.kuropen.org/notes/adsgqhdhzf
若3-273号線って県道59号会津若松三島線「銀山街道」から斜めに突っ切って、県道211号西若松停車場南町線「城南通り」に出る一方通行路か。
藩政時代はこのあたりは武家地で道路は存在せず、明治時代になってから作られたと思われる。おそらく何らかの道路計画で短絡線として作られたものか(城南通りからさらに直進すると、江戸時代から存在した国道118号下野街道の「大橋」にぶつかるので)