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【2009年】の検索結果



自分がTwitterに違和感を覚え始めたのは、私に悪意あるネットストーカーに粘着されたときにサポートに対処を求めたら、日本語をまともに読み書きできる人間であればまず答えないような頓珍漢な回答をしてきたときからなので、2010年にも遡る。
事実、私がTwitterを心の底から楽しいと思ったのは、最初の2年間、自称評論家や自称シンガーソングライターおよびそいつらの取り巻き連中がTwitterを荒らしはじめる前の2009年半ば頃まで。

それでもまだあの頃はあちこちに繋がりが出来ていたので特にTwitter撤退までは考えておらず、事実、2012年頃は私が最もTwitterを活用していた時期でもある。


って言ったけどそんな時期離れてるか?と思ったら鬼門は2008年でエレベーターは2009年だしどっちも似たようなもんだったわ


ちなみにマイナンバーカード自体の更新は2年後。
運転免許:2009年グリーン→2012年ブルー→2015年ゴールド・以後5年更新
マイナンバーカード:2018年新規発行(住民票異動による住民基本台帳カード廃止に伴う)→2022年電子証明書更新→2027年本体更新


Twitterが本当に平和だったのは、せいぜい2009年前半までの話(その時にすらやっぱり変な輩はいたけど)。

ネトウヨなんて当時から居着いていたし、一時期自分と異なる意見の人の話も読もうと思って敢えてネトウヨをフォローしたりもしていたけど、奴等はそんな私の思いを見事なまでに蹂躙してくれたからな。非公開アカウントの発言を晒されたこともあったし。


まあ、それ以前にも変なのはいたけど、1つの転換点となったのは2009年で、日本語圏に限って言えば治安の不可逆的な悪化が確定したのが2015年安保強行後。


ヘイッターが大衆化するとともに変な輩が流入するようになったのは、2009年頃からだろうな。
ワケのわからんインフルエンサーや芸能人がでてきて、その取り巻きが大挙したあたりから。


ヘイッター、日本語圏に限って言えば、2015年安保強行でネトウヨが勢いづいちゃったのが、終わりの始まりだったよな。日本法人のボスなんてコテコテのヘイターだったし。
もっとも、2009年時点で既に種はまかれていたけど。よくわからんインフルエンサーや、シャウトを歌と言い張る自称歌手あたりが入ってきて、その取り巻き連中がワチャワチャし始めたあたりから、目に見えて風紀が悪くなっていったし。


ちなみに福島県ではレジ袋有料化は2009年から、県とスーパーマーケット各社の協定で行われています
https://www.env.go.jp/press/10937.html
(※事実誤認による訂正と出典を追加して再送)


2009年にfirefoxフォークして魔改造しながら開発続けてるのか
凄い胆力


AT限定免許の取得希望者が増えすぎて、複数人が相乗りする教習の場合結局AT車しか使えない教習所とか増えていそう
(2009年に自分が免許取ったときは、当時の両親の車の関係でMT免許だったが、相乗りとなる危険予測教習がAT車での実施になっていた)


ちなみにガチで1時間作業するときのBGMはFunkot

インドネシア発祥クラブ・ミュージック FUNKOT MIX (2009年)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm7249374


ヘイッターに関していえば、自分は2009年に東京・恵比寿で開催されたミートアップイベントに足を運んだな。
相互フォローの人とリアルで会えたりして楽しかった反面、個人的に大嫌いな輩が登壇していたりしていてあんまり気分よくなかったんだよな。
その後、その登壇した輩の信者によってヘイッターのガラはどんどん悪くなっていったな。


「2009年の50年に一度のできを超える軽やかでフルーティーな滑らかな味わい」 ボーボーョボー・ボーヌボヌヌボ


shindanmaker.com/653291


※2009年8月から2018年1月まで福島県会津若松市を、2018年2月から現在まで埼玉県さいたま市中央区を選挙区として行われた選挙を棄権したことは一度もありません


埼玉民時代、2009年に長期間失業していたときに、ウチから職業訓練校に通う経路に武蔵野線が含まれていたから、悪天候にならないかどうか戦々恐々としていた。風雨ですぐに遅延するもんな。